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金屋町の玄関鳳鳴橋
2024.1.11 up

民家ホテル「金ノ三寸」がある金屋町は高岡駅を南下すること車で約5分、徒歩約25分の場所に位置しております。

幻となった高岡城

前田藩2代目藩主利長公は高岡の礎を築く際に高岡に城を構える予定でした。高岡駅から東へ徒歩約10分の場所に高岡市民の憩いの場所である古城公園があります。(公園に関しての詳細はまた別の機会にお知らせします)この公園は外堀、内堀が残っておりお城としての区画がなされています。もちろん天守閣ができるはずの場所もあるお城のないお城なんです。準備途中にあの一国一城の御布令が出て築城は中止せざる得なくなりましたが区画がされていて堀も残っていることから日本100名城に数えられています。

注目すべき点は堀が埋められることなく残っていることです。本来この御布令の一番の目的は築城で最も費用と労力を要するとされる堀を埋めさせることにありました。それをせずに残せたのは前田家と徳川家に結ばれた深い関係性のおかげでありそれゆえ貴重で珍しいということになります。

金屋町と千保川

前置きが長くなりましたがということで高岡のまちづくりは古城公園を中心に行われました。金屋町は職人の町でありそこでは鋳物の製作が行われていました。当時の鋳造は火災と常に向き合っていました。火災の延焼を避けるため金屋町は高岡市に流れる一級河川千保川を挟んだ向こう側になっています。金屋町に行くには千保川を渡る必要があります。代表的な橋は高岡駅から延びるメインストリートにかかる鳳鳴橋です。利長が町名と橋の名前を「鳳凰泣けり、彼の高き岡に。梧桐生ず、彼の朝日に」から命名したとされここを過ぎると金屋町となります。

高岡市政100周年

この鳳鳴橋には高岡市政100周年を記念し設置された向かい合った一対の鳳凰があります。

金箔が施された黄金色の鳳凰は高さ約2.75メートルもあり金屋町のランドマークとなっています。市制100周年の記念と先人への感謝の念、将来の発展を願い合掌の姿を現しているこの鳳凰は勿論高岡にて製作された高岡銅器です。高岡を代表する作家、富永直樹が原型を製作し忠実にブロンズに置き換えました。高岡が得意とする銅像製作となります。鳳凰とは中国神話の伝説の霊鳥であり日本を含め東アジア広域にわたって装飾やシンボル、物語などで登場する架空の生き物です。見た目のいでたちの華やかさと持っているバックグランドから高岡では物つくりの題材としてよく使われています。一対となっているのはこの鳳凰がつがいとなっているからです。この鳳凰は雄と雌で異なるところがあります。見分ける方法は2つあります。①立っている位置で見分ける。川上の鳳凰が雄 川下の鳳凰が、雌だそうです。➁いでたちの違いで区別する。細く長く伸びた足の下部にある突起物,けずめがある鳳凰が雄、ない方が雌だそうです。24時間毎日鳳鳴橋に立ち続け金屋町に来町される人を迎え、帰られる人を見送る大切な役割を果たしています。このランドマークができてとても金屋町の場所を案内するには楽になりました。

けずめという突起があるのが雄の特徴です

鳳凰の役割

鳳鳴橋は金屋町の玄関です。そしてそこには金屋町に来ると最初に目に飛び込んでくる一対の鳳凰が君臨しています。黄金に輝く鳳凰は門番として金屋町を訪れる人をやさしく見守ってくれています。がそれだけではなく実は金屋町が発祥といわれている高岡銅器の象徴の一つという役割も担っています。訪れた人がこの鳳凰を見て金屋町への到着を意識するのは勿論ですが高岡を離れられた後、この鳳凰の映像や画像を見て金屋町への思いを馳せてもらえる重要な役割も担っています。

高岡には町中を見渡すとたくさんのブロンズ像が設置されています。公共性の高いものもたくさんあり銅器の町を象徴しています。高岡大仏がその筆頭ですがそれに次ぐ存在がこれらの鳳凰だと思っています。ブロンズ像がたくさんある町高岡。その中心がそれらを作る産業の発祥の地金屋町ということの認知度を高めていきたいと思っています。是非、実物の金色の鳳凰に会いに金屋町にお越しください。

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