12月も半ばを過ぎ2023年も残すところわずかとなってきました。クリスマスが終わるとあっという間に新年です。新しい年の始まりは何といっても初詣という人が多いのではないでしょうか。
民家ホテル「金ノ三寸」より歩いて約5分のところに金屋町の皆様が氏神として奉る有磯神社があります。この神社に初詣に行かれる方もたくさんおられます。年の瀬を迎えた有磯神社に行ってきました。
この神社は正式名を「有磯神社正八幡宮」といい御動座を繰り返し慶長17年に神主である上田伊勢守の屋敷であった現在の地に動座されました。その後明治16年に本殿が建立され昭和10年に幣殿、拝殿を建立し現在に至っております。
以下は神殿前にみられる有磯神社の見所です。一部HPより抜粋しました。
社殿
北陸の気候風土に適し荒波を表現した言われる「八幡造」となっておりその独特の造りから「有磯造」と称され国指定登録有形文化財に指定されているそうです。
石垣
高岡の繁栄の礎を築いた前田利長公が奉納したとされ街道の要所であったこの地に
高岡城の築城に尽力した高山右近が築いた築城様式の石垣があります。
四魂燈台
越の国の象徴である勾玉を台座足に用いて本殿を模した造りとなっています。四魂は霊魂の中に存在する力で荒魂(あらみたま),和魂(にぎみたま)、幸魂(さきみたま)、奇魂(くしみたま)を言います。
御神木:親子抱き合いの欅
親子で互いを助け合うように立っていることから家内安泰の信仰を集めていましたが
親木が枯れてきた今では親を思うこの愛情が感じられるとして信仰されています。
御用水
明治42年皇太子殿下(後の大正天皇)が高岡で行啓遊ばされました。その折高岡で一番おいしいとされる当宮の御神水が献上されました。それ以来御用のお水御用水と呼ばれています。また病気平癒を祈念する神水信仰も伝えられています。
らしくの石碑
男は男らしく、女は女らしく、神主は神主らしくなど「らしさ」を追い求めるようにとの意味を込めて建てられたそうです。
金屋町と有磯神社は実はとってもかかわりが深いんです。金屋町が毎年執り行っている
「御印祭」という神事があります。金屋町ではトップクラスの重要行事です。毎年たくさんの時間と予算と人を排して6月20日に行われます。このお祭りは金屋町が発祥となった鋳物産業の礎を築いた加賀藩2代目藩主前田利長の遺徳をしのんで行われます。自らの余生を送る場所として選んだ高岡を繁栄させるために金屋町に7人の鋳物師を招聘し高岡鋳物が始まったといわれています。今日、高岡で鋳物産業が行われているのは前田利長公の尽力のたまものです。その利長公のご神体が有磯神社に奉られています。
御印祭では毎年ご神体を金屋町に移し神事を執り行います。神様の通られる道を作り行きと帰りをご神体を乗せたおみこしが金屋町を厳かに練り歩きます。緊張感のあるとても興味深い神事となっています。この行事が金屋町と有磯神社との関係を大変に強固なものにしているそうです。ちなみにご神体をお迎えするときには金屋町が中心に保存する鋳物踊り「弥栄節」が披露されます。踊るのは金屋町に住む学童です。この日のために御印祭が近づくと集まって保存会の方からの厳しい指導を受けるそうです。この踊りは鋳造のために金属を溶解するための火をおこすために稼働させる大きなふいご「たたら」を踏み続ける必要がありその時タイミングを合わせるため、元気を出すためにうたわれた歌にふりをつけた踊りだそうです。
またこれに関連して有磯神社で毎年11月8日にはふいごを使って火を扱う人達が普段使っている仕事道具をねぎらい感謝をささげるお祭りである「ふいご祭り」が行われます。この日は神事を執り行うだけではなく神殿の前の庭スペースに仮設の溶解炉を設置し白装束の鋳物師が神前に奉納するその年の奉納品を鋳造します。目の前で溶解した金属が流し込まれるのを見ることができる貴重な日です。関係者も含めたくさんの人が訪れて日々の感謝と安全を祈願します。
有磯神社は普段の生活ではなじみが薄いところだと思います。でも初詣を筆頭に1年のかなめでは大切な役割を果たす場所ですね。何よりも歴史的価値の高い場所であるがゆえにこの地に一歩踏み込むと背筋がピンとする気がします。普段とは違う非日常がこんな近くで感じられる、貴重なところだと思います。ここでは毎日朝の6時には神殿にて神主が祝詞を挙げておられます。誰でも参加可能です。特に月初めの1日にはたくさんの人がお参りに集まってこられています。金ノ三寸に泊まって朝のお参りに参加するというのも過ごし方の一つとして紹介していこうと思いました。