民家ホテル「金ノ三寸」がある高岡市金屋町のそばを流れる千保川には金屋町の玄関ともいわれる1対の金色の鳳凰が鎮座する金屋町のランドマーク鳳鳴橋があります。
その鳳鳴橋の一つ上流、新幸橋近く、金屋町対岸にひっそりと建つ塔が今回のtakaoka_walkの主役です。
とても地味な存在故、見逃されがちではありますがその存在にはしっかりと意味があります。それは金屋町近辺の時代背景と大きな関係があり当時を偲ぶことができます。
この塔は恵比須塔(えびすとう)の名前が付けられておりさかのぼること大正8年に新幸橋詰めの荷揚場の拡張に伴い設置された海産物などの荷揚場用街灯です。この辺りは川原町といってその言葉の通り川(千保川)を中心に栄えた町でした。千保川は今では両岸をコンクリートで護岸されていますが当時は船が定着できる岸ベが多くありました。そのため大雨が降ると洪水の被害を受けることもしばしばありました。このあたりは江戸時代から昭和30年代まで魚市場が並ぶ水産問屋の町として発展しました。今ではその面影はなくなっていますが魚やさんや仕出し屋さんがたくさんあったと聞いております。また現在も続いているかまぼこ製造会社 天野屋蒲鉾店と角彦かまぼこがあり昔ながらの製法にて蒲鉾を製造しておられます。
恵比須塔の名前にはこの塔に恵比須と名をつけることで漁業、市場の繁栄を祈る神様を祭る意味もあったのだと思います。恵比須塔に豊漁を祈った当時の人たちの思いが感じられます。それにしても街灯に名前を付けることにも驚きは隠せませんがそのデザインのモダンさにも大いに感心させられます。
道路事情、配送手段の劇的な発展によりほしいものは日本でなら翌日には手に入るようになった今日では考えることも難しいことですが物流の方法を船、いわゆる海、川といった水に頼っていたころは船着き場の周辺に町が作られていきます。川原町がまさにその典型的な例となります。その船着き場を知らせるために毎日照らし続けたのが恵比須塔です。その場所に長く居続けることで荷物の積み下ろし以外にもたくさんの物語を見て照らしてきたのだと思います。何も知らないかのようにひっそりとたたずむ10メートルもある恵比須塔は実は誰よりもこの町のことを知る存在かもしれません。そしてこれからもそうあり続けることでしょう。恵比須塔の存在を忘れないでと言わんばかりに今もなお足元を照らし続ける恵比須塔を今日は特別な思いで眺めています