★新しい富山空港
「富山高山すし空港」今富山ではかなり関心の高いトレンドワードです。
富山きときと空港の運営体制が変わるのをきっかけに考えられた新名称です。空港名に他県の地名が入る大変にレアなケースでその名称に関しては県民からは賛否両論です。
善いも悪いも関心を持たれたという点では狙い通りだったのかもしれません(センスはないと思いますが)
個人的には名称に関しては正直もっと気の利いた名前にしてほしいと思いましたが今そんなに問題にする必要はないかと思います。名称を変えて利用率が増え富山空港の存在価値が高まるのであれば変えようと尽力された関係者の方々にとってはこの変更は大正解であったと言えるわけで評価はそれからでもいいのかもしれません。もちろん新しい取り組みもたくさん計画されておられることだとも思います。
★高岡人の思い
ただしこの名称は高岡人としては寂しいものを感じます。
金ノ三寸に宿泊される海外のお客様のうち欧米(豪含む)のお客様はかなりの割合で高山、白川郷経由または次の目的地が高山、白川郷とされています。高岡は東海北陸道を利用すれば白川郷はもちろん高山にも途中、中部縦貫自動車道を経由することで1時間30分ほどにて到達するロケーションです。
海外のお客様にとって岐阜は古き日本の原風景を感じることのできる魅力的な場所だということは訪れる人の多いことからもわかります。でも富山県なのか岐阜県なのかは全く関係ないはずです。富山高山すし空港に高岡がないのは高岡以外の人には大したことではないことですが名称変更が狙う高山への旅行客の空港利用の誘導は高岡に滞在するお客様の減少につながる可能性が危惧されます。さらには高山と高岡と海外のお客様は混乱されることが想定されます。高岡が富山の観光の確固たる戦力としてみなされなかったということに寂しさを覚えます。ただしそれは高岡にも問題があることは否めません。
★「高岡ちゃ、なんも無いところ」
高岡の人はよくこの言葉を口にします。少し前までは自分もその一人でした。「高岡にはわざわざ来てもらっても見学するところも自慢するところも全くないです」その行間をも推測して説明するとこういう意味になります。
これは日本人独特の謙遜から出た言葉はではございません。その人が思うまさに高岡とはです。それを評して高岡の人は高岡に無関心な人が多いと言われます。
「高岡ちゃ、なんもないところ」と言葉にして発する人たちは本当に高岡に無関心だからそう口にするのでしょうか。そんな人もいないとは言えませんが無関心からだけの言葉でもない気がします。端的に高岡の魅力を語れないのだと思っています。歴史、文化、工芸、自然など高岡は語る人の立場によっていろいろな紹介がされます。
高岡の魅力に関して市民間で共通認識を持つことはもはや喫緊の課題ではないでしょうか。そして正しく伝え理解してもらうことが求められます。
★唯一無二の高岡を
それぞれの立場からそれぞれの意見を募れば主張する内容は異なりまとまりはつかなくなり空中分解は免れないと思います。だからこそ主張する内容が我田引水でなく高岡を冷静に俯瞰で眺めて何を打ち出すことが高岡として最もメリットがあるのかを決定するための取り組みの過程にこだわって北陸地方の唯一無二の都市、高岡を大いにアピールできたらきっと高岡の将来は今よりもっと変わるのではないかと思います。伝統工芸と深くかかわる民家ホテル「金ノ三寸」としては高岡が推すべきものはものつくりと声を大にして訴えたいですが決定するプロセセスは大切です。高岡に沢山の関心が寄せられるとそこからいろいろなことが派生し多くのことの循環がよくなりその恩恵を受けれると信じて高岡のため気持ちを一つにする時がもう来ていると思っています。新空港の名称が良い悪いの論争はそろそろやめにして富山高山すし空港がよい意味での高岡躍進の起爆剤になることを祈るばかりです。



