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旧冨田鋳物工場跡地
2024.8.30 up

民家ホテル「金ノ三寸」は高岡銅器発祥の地富山県高岡市金屋町にあります。

400年の歴史を持つこの産業も時代の変化とともにその業態を変え当時の面影を感じることができるところは数少なくなっています。それはいくつかの理由がありますが環境と需要の変化が大きいといえます。それぞれに以下の理由が考えられます。

環境面では人々の生活が普通に営まれている金屋町で火を使う鋳物産業は住民の安全と安らぎが最優先の現在

にお いては稼働することが大変に厳しくなり多くの工場は郊外へとその生産拠点を変えた。

需要面では世の中が必要とするものが人々のライフスタイルの変化等により様変わりして需要が大きく減り

休業せざる負えなくなった工場が出てきた。

これからの理由により現在は稼働していない施設を保護しようという動きが起きています。

金屋町で鋳物産業が発祥した当時、主として生産されていたのは銅器ではなく鍋釜、鍬鋤といった鉄器でした。銅器の生産は江戸中期から後期にかけてといわれています。

装飾性に優れた銅器に対し生活用品として作られた鉄器の中でも高岡鋳物発展の歴史において重要な産物にニシン釜があります。その当時、北前船の往来により北海道より魚肥、海産物、昆布等を受け入れ鍋釜、火鉢等の鉄鋳物、綿、味噌醤油棟を移出しており特にニシン釜は北海道でのニシンの豊漁に伴い需要が拡大しました。当時のニシンは保存技術が限られていたとうことから大量にとれたニシンのほとんどはニシン釜にてゆでられ肥料として使用されました。ニシン釜を移出して肥料として受け入れそれを使用し米や綿花を栽培したことにより高岡にある山町筋には綿に関する商家が生まれ紡績や捺染といった産業が発展したという循環が出来上がることになります。

金屋町の歴史を語るになくてはならないニシン釜の生産は昭和20年頃をピークにニシンの不漁とともに下火となりましたが金屋町には当時の華々しい歴史を語る遺跡が現存しています。普段は映画のロケーションにでも使われているのかと勘違いしてしまいそうなくらいの廃墟ですがここではニシン釜を大量に生産し高岡銅器の発展に大きく寄与した富田宗治郎家鋳造所がありました。今、ここを産業遺産として金屋町のシンボルとして保存、活用し鋳物町としての発信かつ交流の場を創出しようという動きが起こっています。

令和6年7月27日に富田家当主も列席され「金屋町鋳物工業跡地と周辺整備を推進する会」が設立発足しました。今後は賛同者を増やし運営案を練っていくことになります。金屋町からも多くのメンバ-がその会に参加します。金屋町にとってもプラスに働くようにしっかりと話し合い進めていってほしいと思います。

高岡市は金沢市と富山市に挟まれた第3の都市です。県庁が所在しないというハンデキャップがある分どうしても経済的な発展では差がついてしまいます。それは致し方ないことですが高岡にしかできないことはたくさんあると思っています。高岡でしかできないこと、高岡らしいことを早く見出しそれを高岡に人が来る一番のモチベーションに仕立てることが高岡の知名度を向上させる一番の方法ではないでしょうか。

高岡銅器の発展の歴史から現在を語る場所がしっかりと立ち上がると高岡が誇る物つくりを多くの人にしっかりと伝えることができるのではないかと期待してます。しっかりとこの成り行きを見守り高岡にとってプラスに働くように進めていってほしいと思っています。

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